老いぼれへぼ教師の回想記《24》

父忠勝が自分名義の持ち家を手に入れたのは退職後であった。若草町に二階建ての小さき自宅を得て父共々兄弟皆で喜びを分かち合った。
それに引き替え、わたしの場合は幸運にも三十代で強引に引き入れてしまった。
時あたかも高度成長期の日本経済の雄飛と共に、人勧前年比30%増という信じ難い時代に遭遇したことも手伝った。
いろいろなことがあったが、やはり角栄さまさまと言わざるを得まい。
 
 
其の二  紫錦台  気ままに生きて  小手試し(4)
 
 
連合運動会
 
 市営運動場に市内各校の陸上部員の精鋭が相集い覇を競う 金沢市 中学校連合運動会が天高く透き通る秋空の下挙行されていた。
大変不謹慎なものの言い種なのだが、時折歓声が沸きあがる中にあっても手持ち無沙汰にただ漠然と時の経過を待つのみであったことを思い出す。
 昼飯を摂っているその横へ技術科担当の越田昌宏先生がどっかと腰を下ろし、やがておもむろに誘いかけてきた。当時越田先生と一杯ひっかける機会があり多分またそのことと思いきやまったく異なる内容のことだ。
 私は当初ことさら興味を引いたわけでもなかったが好奇心をくすぐられた恰好だったことは事実だ。
 午後三時過ぎの現地解散の後二人は鈴見町の土地区画整理組合の事務所へ足を運んだ。何筆か競売に付されていた。
世間知らずの私には即断が覚束ない。
 買いに手を出せばよいのか躊躇すればよいのかと、とにかく判断に苦しんだ。越田氏がいかなるサゼッションをされたか記憶にないが正気に戻ったときには私は坪単価7500円坪数42の角地の一筆を入札していた。
 大袈裟過ぎるが清水の舞台より飛ぶ思いで生まれてはじめての大きな買い物をしてしまったことになる。
後刻、落札の報を受けたときは、やっと一人前のオトコと相成ったことを実感した。悠然たる心境を体得した。
親に頼らずわが身一つで成し得たことに充実感と成就感を味わった。
 この元金も上野氏の御蔭だ。菊水時代に氏より蓄財を篤と説かれた。三級の僻地手当て金と宿直代をこまめに銀行預金した。
氏はよく口癖のように、やがて金が物言う時代の到来を予告予言していた。彼の忠告があってはじめて今日の私の全てがあることを思い知らねばならないのである。
 蛇足ながら、今の家内と最初の新居を新保本町に持った一切の建築費はこの鈴見地区に手にした高橋正純名義の正真正銘のわが地所を売却した代金に他ならない。その間義父中川良一には随分と世話に相成った。