老いぼれへぼ剣士の夕雲考《24》

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直心影流第十五代道統者山田次郎吉、その門人大森曹玄、その弟子であられし
桐田修男氏と今日も法定を打ってきた。
わたしの好んで使う言葉、誠心誠意・一心不乱・全身全霊はこの直心影流の法定から培われた。
これこそが本物の武道なりと衷心より信奉するのである。
尊敬に値する山田次郎吉の著書を貪るように読み砕き、独習為された鈴木大拙先生の物凄い形相が思い浮かぶ。
 
 
鈴木大拙は夕雲をどのように観察し評価したか(4)
 
従って、鈴木大拙がより一層剣術に対する造詣を深めるべく、山田次朗吉の著作物に急接近して行った経緯が手に取るように判るのである。
想像の域を出ないが、この両人が気安く声を掛け合う程の間合いに位置していたのかも知れないのである。
戦前に執筆した「禅と日本文化」に大々的に大幅な加筆を施し、戦後に表題が「zen and Japanese culture」を発刊するに至るまで、大拙は剣術を独学で以って物凄く猛烈に勉強したのだという。花園大学の桐田教授の学説に他ならない。
その新たなる知見の源泉は、山田次朗吉の「日本剣道史」であり「続剣道集義」であり、「剣道叢書」なのである。
山田次朗吉は剣聖とまで称されるだけあって、剣の修行と相俟って、武道関連の膨大な文献を悉く漁り著述活動にも没頭されている。
人の仁義道徳を説き、外面に表われた技術だけの剣ではなく、内面に秘めた精神の剣を成熟させなければ、剣道たるものは魂のない木像のような死物に過ぎないと剣の極意を何処までも追求された人であった。