老いぼれへぼ教師の回想記《23》

 
 
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其の二  紫錦台 気ままに生きて 小手試し
 
 
 長町分校にいた時の話である。夏休みを目の前に控えた物憂い気象の日の昼下がりに 高岡町 中も参画した初期消火と避難訓練があった。
 学期に一回は設定された。消防法上の規定に則る行事であった。
さほど広くない、むしろ極めて狭いといってよいグランドの中央に廃材等があたかもキャンプファイヤーを試みるがごとく堆く築かれていた。
 訓練に際し全職員が各々各部署に配属され、しごとを分担した。避難誘導係り、重要書類搬出係り、消火係り等々があって、確か私は点火を仰せつかっていた。
 マッチを携えて中央部へ歩みだそうとしたその矢先、誰かがけたたましく駆け寄ってきて私の持つマッチ箱を奪い取るようにして言った。
点火は私がする。危険が伴うかも知れぬので私に任しなさいと、そのように言われたような気がするのである。
 その数秒後に一大珍事が勃発したのだった。不気味な爆発音があたりの空気を揺るがし爆風が周りを取り巻く生徒たちを諸に直撃し木造校舎を突き抜けた。
 二階建ての校舎の大屋根よりもはるかに高く黄金色の火柱が猛然と突っ立った。
 一瞬、取り巻く大勢の生徒たちは唖然として佇んだ。この情景を目の当りした先生方は、先ずは火元で顔面を我が両手で覆い隠したままひれ伏した白嶺慶雄先生を救出せねばならない。
時を置かずしてけたたましいサイレン音と共に救急車が搬送された。
 そして、全消火器を駆使して消火に当った。幸いにも惨事にはいたらず生徒たちにも怪我や火傷等の事故に及ぶことはなかった。
 当日、校務士の方が近くのガソリンスタンドより灯油の代わりにガソリンを買い求めたことが大失敗だった。只単に油とだけ言ったのを、スタンドの店員も確認せずに間違えてしまったのだという。
 やり手満々の白嶺慶雄先生は常日頃より積極果敢に教育実践をされるファイトマンであられたことが、この時ばかりは裏目となり、勇み足の呈と相成った訳なのだ。笑えぬ笑い話となったのだ。
 後刻、夕方近くに先生は帰校された。正に月光仮面とおぼしき白覆面にはみな顔を伏せて口に手を宛がう以外の術がなかった。
 事なきを得たことは良といたさねばならない。