老いぼれへぼ剣士の生い立ちの記《22》

曲がりなりにも我が家の家系を紐解くことが適った。
大橋源左衛門に端を発し、私の実父高橋忠勝に至った。
父は、生涯を通じて剣術とは無縁の人であった。その父へ、へぼ剣士に過ぎないこのわたくしは、このブログを恭しく捧げたいのです。
 
 
 
その三  父高橋忠勝=(1) 
 
父忠勝は私にとっては近寄り難き程の厳父であった。畏敬の念を抱きつつ、父の影を踏む事無くいつも数歩後ろを歩んだ。
父の偉大なる権威の前にひれ伏しながらも、反面ではその権威に挑み続けた半生であったことも否めないのである。
いずれにしろ、私の父は吾が身を犠牲にして実子たる私を救ってくれた。
また、父は吾が身を鬼にして私を救わんとしたことでもあった。
言わずと知れしことなれど、一面では慈父の眼差しで優しき愛情を注いでくれた頃の想い出もいくつか蘇るのである。
父忠勝は一人っ子ではあるが、実は五歳年下の妹ヨシコを二歳のときに失い、七歳年下の弟信二ともわずか五歳にして死別したのだという。
更には、養女として入籍した清子も二つのときに疫痢に罹患して命を落としているのである。ヨシコも信二も疫痢による犠牲であった。
父は疫痢には神経質なくらい敏感に対応せざるを得なかったのだろう。幼児のころ私は悪性の下痢に見舞われた。