老いぼれへぼ剣士の独り言

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なんの変哲もない在り来たりの写真です。朝の散歩で出くわす光景です。見どころは過ぎ、花の命の儚さを知る。
ましてや、朝日は建物に遮られ差し込むことはない。
いつも日陰に咲く薄倖なる朝顔たちであった。
朝日を知らない花に不憫さを感じていた。
 
去る29日の代表選の折、朝顔にまつわる話を小耳に挟んだ。確か、野田さんだったと思う。
朝になると朝顔は開花するが、それは単純に朝の光りが差し込むからだけではないのだという。
花が咲くための条件として、大事なことが二つあるのだと野田さんは聴衆を引き込みながら話を進められた。
その一つ目の条件は、漆黒の真っ暗闇の闇夜を花自体が感知することであり、その二つ目は、その折そこに冷気が漂うことなんだという。
真夏の事ゆえ、たかが知れるわけだが実はこの写真の左下の脇には伏見川の支流たる高橋川が注ぎ込んでいるのです。
闇夜に川面を渡る空気が諸に靡き込むのです。
わたしは、何かを得たような感覚で不憫な朝顔たちを思い起こした。
生きとし生きるもの須らく、艱難辛苦に遭遇し、耐え忍び、そして這え擦り上がれば
何か新しい展望が開けるかもしれない。
野田さんはそういうことを、民主党政権に擬えて言いたかったのでしょう。
 
お先真っ暗、先が見えずに呻吟する人間たち、人の情けの冷たさに絶望の淵へ追い遣られ世を果敢無んだ数多の善良なる人間たちに健気な朝顔たちを知らしめたわけだ。
朝顔から大きな勇気を頂こうではありませんか。
朝顔を見直そうではありませんか。
朝顔にあやかろうではありませんか。