老いぼれへぼ剣士の夕雲考《27》

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 恐らく、仙谷由人さんは「猫の妙術」を知っていたのだろう。
 佚斎樗山子が構想した題材の部分的素材は宋学に基づいてはいまいか。
 ならば、中国からの先進文物が逸早く取り入れられて、そこに凝縮していたのも事実であろう。
 仙谷さんは、もともと日本国の文化や文物の母国は中国であるとの認識があって、中国の文化的優位性を認めざるを得ない立場の政治家の一人であったのだという。
 さしずめ、古猫の見解に賛同したのではなかろうか。
 
鈴木大拙は夕雲をどのように観察し評価したか(7)
 
無一物・無一文の境地が大切なんだと、たかが猫の分際でありながら難解なる易経まで引用して、無物の理を説くのでした。
我あるが故に敵ありならば、自分がいなければ敵は存在しないということになろう。
我と敵、彼我対立の間柄なら、全てのものを相対的に捉えざるを得ないことになる。
それなるが故に、自分の心の中に頑なな囚われの心や拘りの心がなくなれば、互いに相対するものがなくなって自ずと敵なし我なしの心境に達することが出来るのだと古猫は説諭するのでした。
此の古猫はまさしく道学者の一人として登場したことになろう。
更に付け加えれば、この「猫の妙術」は山岡鉄舟にとっても、この上なき座右の書であり愛蔵本として重宝したのだという。
鉄舟は自流他流を問わず数多の伝書の類いは誰にでも気安く開放したのだが、こと此の佚斎樗山子の書だけは閲覧させることを嫌ったのだというエピソードがある。