老いぼれへぼ教師の回想記《26》

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名校長伊東平俊先生もお亡くなりになられた。いろんな意味で試練の場を与えていただいた。
あの一時ほど、与えられし課題に真摯に取り組んだことはなかったかもしれない。
 我がつたない青春につかの間の充実感を味わった一時でもありました。
 
其の三  海原に 試練乗り越え 金石中
 
                      
会田雄次との出会い(上)
 
 校長が伊東平俊先生の時だった。第一学期の半ば頃と記憶するが校長室へ呼び出された。
用件はこの夏休みに京都大学より会田雄次教授が來沢されるので、これを機会に君の方から教授の著書より一作品を精読し、質問事項を精査し直接先生へぶつけてマンツーマン方式でしばしの時間討論し合ってほしい。かくなる内容のご通達であった。
高橋君、またと来ない絶好の機会だよ。お勉強の機会だよ。君のためになることゆえ受託したまえ。
校長は柔和な笑みを湛えながら念を押した。勿論返す言葉が無かった。
 
書店であさった。「決断の条件」「日本人の忘れ物」「リーダーの条件」「敗者の条件」「逆説の論理」「日本人の意識構造」「アーロン収容所」「合理主義」おびただしいこの数。結局「アーロン収容所」と「合理主義」にしぼって読み込んだ。
処がその時の質問の論旨の原稿が捜せども見当たらない。その折私の手によって労苦の果て作成した概要、要点、疑問点、指摘したかった論点等の備忘録を見事に見失うという大失態を演じてしまっているのだ。
私にとってはかけがえの無い宝物であり心の財産をなくしてしまったのだ。何故なくしたのか皆目思い当たる節が見当たらない。
余りにも大切な重要書類と意識しすぎて、思わぬところに保管してしまったのかも知れぬ。あるいは何処かよりひょっこり現れることに期待する他はないのである。
本来ならその一部始終を欣欣然とこの項に収録したかった。くどいようだが、極めて残念で仕様が無いのである。
そのメモ帳が無い限り記憶を蘇生し再現する知力はすでに失ってしまっている実態に、これまた痛く失望し落胆せざるを得ない。
残念だけどいつまでも囚われ、拘っていてはもっといけないことは判っているのだが・・・