うらなりの記《28》

 図らずも釣り紀行が重なってしまった。
お前さんは、余ほどの暇人なのかい、悠長なる人生を歩んで結構なことですねと皮肉られてもしようがない事かも知れない。
確かにわたしの人生の歩みの中で、お魚釣りとの関わりはないことはないかもしれない。
 
たまには、ふと思い出したように磯の香りに誘われて海辺に立つこともあろう。
世俗を忘れ、竿先の微妙な動きに当たりを感知し絶妙のタイミングを計って合わす。
これぞ最高の醍醐味だ。
なんといえども堪らない。
 
魚信を捉え合わす心境はまさに起こり頭を捉えた出頭の正面打ちとまったく違わない。
 
その釣り行脚の原点となった出来事を記す。                                                             
 
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その三  父高橋忠勝(7) 
 
その昭和二十七年(一九五二年)は私にとっては正に暗澹たる思春期を迎えた泉が丘高校の二年時に当たるのである。鬱の傾向が顕在化し始めていた。
その頃だった、父は私を釣りに誘ってくれた。午前三時ごろだったろうか、二台の自転車で泉寺町を出立した。
二人は無言のまま、ひたすらペタルを漕いだ。やがて、空が白みかけたころ蚊爪の船着場に着いた。
 俗にクソカイブネと称した釣り船が手配されていた。父は手馴れた捌きで櫓を漕いだ。鏡のような水面にたなびく朝霧を縫うように、這うようにポイント地点に横付けした。
葦の穂影から射す朝日が湖面に映え渡った。私の澱みきった胸中がそのとき一瞬だけ瓦解し霧が晴れるように視界が開けたのである。
 父はツキ釣りだと解説していた。枯れ木を深渕なる水中に沈めた恰好の魚場だという。東京ミミズを一本掛けに、引っかかりに注意しながら静かに真下に下ろすように父に促された。
 銀鮒に混じって金ブナも上がる。ほとんどが尺モノ以上だ。しばし、入れ食い状態が続き、父に笑顔がこぼれた。私も自ずと純真なる少年に立ち返っていた。
 郷里を後にして京都の地で再び学業の身に戻る決意らしきものを促してくれたのもこの時であった。
 父が勤務する大浦小学校の裏手に隣接する河北潟の潟縁で、この二人の憩いの場が展開されたのである。
 今以って、あの水中に吸い込まれる直前の丸浮きの微かな動きに合わせる絶妙なるタイミングを夢に見てしまうのである。