老いぼれへぼ教師の回想記《28》

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”武士に二言なし”という。
小泉純一郎氏は己の信念を貫き通したことは実にお見事と言わざるを得ない。
政治家個人としても男の本懐を立派に遂げたと称賛されよう。
それに引き替え、国外がどうしたとか最低でも県外がどうしたとかオンナの腐ったような
優柔不断さを売り物になさった御方がいらっしゃったのも事実です。
今から思えば何が良かったのか悪かったのかさっぱりわかないというのが本音でしょう。
 
 
其の三  海原に 試練乗り越え 金石中
 
会田雄次との出会い(下)
 
小泉純一郎氏は京大へ内地留学し会田教授の西洋史概論を受講したのかもしれない。私は郵政民営化に反対するつもりはない。しかし、大方の良識ある国民を愚弄するような強引過ぎる政治手法が大問題だ。
片や、この劇場で固唾を呑んで拍手喝采を送る大多数の日本国民に対しては何をかいわんやなのである。人呼んで、これを衆寓政治と言ったはずだ。
果たして会田先生はこのどたばた劇をいかように評論なされることだろうか。
夏季研修中のあの日、社教センターの会議室に一〇〇名以上に及ぶ県下の中学・高校の社会科の先生方が聴講するなか堂々と自己主張をした。その自己主張の場の提供を受けたことに感謝しつつ精一杯の熱弁をふるったことだけは鮮明に記憶するのである。
西洋史学ではわが国を代表する著名なる現役の京大教授を前に臆することも無く対応できたことは私にはこれ以上の収穫はない。そのように胸を張っていえるのである。
あまたの校長に仕えたが伊東先生は部下の胸中を掌握し懐柔されることに長けた名校長の一人であられた。衷心より感謝の意を表したい。併せて、今はご冥福をお祈りします。
しかし、今此処に冷静に回顧してみるに、慎ましやかとは決して言えぬ拙宅の書庫に今以って眠る会田氏の未読の著書を見るにつけおのれの意志の脆弱さに情けない想いが募るのである。  
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たかがこれだけに自己満足し自己肯定し、次への脱皮へおのれを促す気力すら持ち合わすことがなかったおのれが情けないのだ。
既にこの時点にておのれの成長は途絶えたのも同然で大成できるはずもないことに今気付く次第だ。せめて会田教授の胸を借りて打ち込み稽古、出来得れば掛かり稽古ぐらいはしてみたかった。其の気概がなかりしこと、悔しいしそれ以上に情けない。
棺桶までは持って行きたくはない。今からでも遅くはないよ、と誰かの声がする。