うらなりの記《25》

断捨離という流行語を耳にする。物への執着心を断って捨てて離れ去る。
生まれ変わった生活スタイルを目指した一種の自己修行のようなものです。
いずれはあやかるつもりでいる。
目下のところは今以って収集癖旺盛でゴミ捨て場から拾って来るのです。
家内からの集中砲火を浴びる次第なのです。
雉の剥製・ルーペ・輪島塗のお盆・地球儀等々枚挙にいとまがない。
 
イメージ 1
 
その三  父高橋忠勝(4)
 
 夏休みには卯辰山に開設された林間学校へ強制収容されたし、よく父は私を金石海岸にあった濤々園と称する海水浴場へ連れて行き、ある種の特訓を強要させた。
もっとも、水泳の特訓ではなく日光浴を強いられたに過ぎなかった。私は五年生の夏休みまで水が怖くて泳げなかった。
それでも、父は決して泳ぎを強要したり手ほどきを施すようなことはしなかった。父は優しい人であった。
 私が日光浴に甘んじている間、父はハマグリ採取といっては海中に姿を消した。
 父は泳ぎの達人であった。遊泳する数多くの人たちの中でわが父だけが抜きん出て遠くへ泳いで行き、私は一心不乱に父の海水帽の行方を凝視し続けたことをまざまざと思い返すのだ。
 海水帽を確認しては、その都度安堵したものだ。持ちきれないほどの巨大なる収穫物を誇らしげに見せてくれたのだ。深海に沈むハマグリに目掛けて素潜りし手掴みする恐るべき、そして誇るべき父親であった。
 収穫物はそれだけではなかった。一升瓶に海水を詰め込み、自転車の荷台は満載であった。
 更に、父は抜かりなく金石往還に転がる馬糞をば丹念に拾い集め持ち帰った。当然、素手での作業であった。
 取り分け、寺町通りには七連隊(旧大日本帝国陸軍の編成隊の一つである第九師団に属する歩兵第七連隊のこと)が位置したことで馬糞街道といわれた。
 現在の陸上自衛隊のみならず、金大付属中・高校から野田中学校・泉野小学校を取り巻く広大なる範囲内を往時には野村練兵場と称し、そこに兵舎や厩舎が林立していた。父忠勝の意図や思惑は、今にして思えば明瞭に理解されるのである。
 心身ともに余りにも脆弱すぎたわが子を、お国に役立つ程に鍛え磨かんとする父親の願いがそこにあった。
 その折の母のことや鉄二と利治のことは記憶に残されてはいないのである。