下手糞老いぼれ剣士の独り言

日本剣道形心得覚書=《下》

8 小太刀の二本目で、仕太刀は刃の向きを斜め右下から下向きへ変化させながら、打太刀の刀を制しながら入身になろうとする。
 それを見た打太刀は透かさずに右足退いて脇構えとなる。脇構えに変化した打太刀を見た仕太刀は間髪を入れずに入身で一歩攻め入る。
 打太刀は、脇構えからいきなり諸手左上段となり真っ向に正面を切り込む。
 この一連の動きを流れるようにスムーズに段取りよく理合通りに運ぶにはなかなかの修練を要する。
 それを、仕太刀は身を呈して頭上にて受け流すことになる。打太刀の氷の刃の真下に仕太刀はわが身を曝して、手首の返し的確に刃を後方にして受け流すことが要求されよう。
 この際に、怖いからといって体の捌きが早すぎて小太刀だけで受け流すことは戒めねばならない。

9 小太刀三本目で、仕太刀が摺り上げ、摺り落とし、摺り流し、摺り込むの一連の動きのフイニッシュは摺り込むと同時に打太刀の右ひじ上部を逆手で捻り上げ腕を圧し折る気勢で完璧に自由を奪わねばならない。
そして、小太刀で打太刀の咽頭部を制して十分なる残心を示す。
仕太刀、重心を低くして両脇を締め大技にて厳粛にして且つ荘厳なる最後の残心姿勢を現わさねばならない。
見るものに感動を与えねばならない。
10 未だ嘗てお目に掛かった事はないのだが、小野派一刀流の「切り落とし」、柳生新陰流の「まろはし=轉」、直心影流の「まろはし=丸橋」さらには無住心剣の「相抜け」の技など古流剣術の奥義にみられたような正に禅の世界での立ち振る舞いが最終段階には求められるのだろう。
無駄な動きを削ぎ落とし完膚なきまでも追い求めれば、結局のところそうなるのだろう。
まだまだ、先は長くて遠いのである。