下手糞老いぼれ剣士の夕雲考《5》

余り聞いたことも少ない江戸時代の剣客針谷夕雲をクローズアップするために縁も所縁もないオバマさんにご登場願ったわけなのです。
その夕雲の剣の理を綴った弟子一雲の著「夕雲流剣術」に行き着くまでの繫ぎの部分に甲野善紀先生やら小川忠太郎先生や鈴木大拙先生等々に御出座し願って拙い推察を展開いたしましたる次第でございます。



オバマ大統領と針谷夕雲との接点は何ぞや

それにしても、百年間に一度の輩出と言われる歴史的政治家・アメリカ合衆国第四十九代大統領バラク・オバマと十七世紀の中ごろに無住心剣流の剣術を編み出した一介の剣士針谷夕雲とを対比してみても全然意味がない。
第一比べようがないのだが、この両者に共通して見い出し得る最大公約数を捜すとすれば、彼らが生きたそれぞれの時代において、両人とも極めて稀有稀有しき存在であるということは言えまいか。
加えて、この両者に「自己犠牲」とか「無私」の感性が備わり、破壊よりも建設を選び、争いより和平を願う、そして飽くまでも生を熱烈に希求する強いDNAが隠されていたのではあるまいか。
そのような思いに駆られて仕方がないのである。片や、大量破壊兵器を否定し、核廃絶を叫びつつ人類の恒久平和を模索した。
一方は、剣の極意といえる相討ちまでをも否定し、それを畜生剣法と蔑み相抜けの技を手探りで掴んだ。
決して彼らは慈善家でも宗教家でもない。殺戮行為が日常茶飯事とする極めてシビアな世界の真っ只中に身を置きながら、其処から一つの光明を懸命に捜し求めている敬虔な姿が浮かび上がっては来ないだろうか。
今日という日を生きている。明日もまた生きて行く為には、己の生命を脅かす相手を抹殺することだろう。
己の生命を維持し続けるためには、己の生命を脅かす相手を抹殺せざるを得ない宿命と必然性を帯びているのである。
遠い過去から未来の果てまで、繰り返し繰り返し闘争の歴史が続くのである。人類の歴史そのものである。
留まることを知らずに際限なく繰り広げられ、その結果として当然のことながら強いものが勝って生き残り、弱きものは負け命を落としてしまう。
従って、戦いに勝利することが最大の命題となり、人間の全エネルギーがそこに傾注され、難解なる戦勝方程式に挑戦を試みた幾多のヒーローが此の世に出たではないか。                        つづく