下手糞老いぼれ剣士の夕雲考《6》

針谷夕雲と小田切一雲が編み出した無住心剣は日の目を見ることなくこの世から敢え無く消滅した。
でも、その時代の大きな流れに恰も逆らうように挑戦状を突きつけた英断は実に尊いし高く評価されてもよいことだ思う。
依って、このわたしが稚拙で果敢無い論考を進めているのです。




スポーツの世界のみならず、当然のこととして万般すべての分野において勝利至上主義・能力主義成果主義、今様には新自由主義市場原理主義が罷り通った。
唯一、勝利者のみが美酒に酔い痴れ、この世を謳歌した。
勝利こそが正義であり、美徳となった。勝利万能主義がこの世を風靡し、万人がこれを信奉し支持した。
些か誇張した嫌いはあるが、犬畜生以上の獣性を露わに牙を剥き、殺戮行為も厭わずに唯唯覇者を目指して這いずり上がる亡者如き存在を、天下の大勢はこれを是認したことになりはしないだろうか。
この在り様を世間一般は当り前のこととして黙視し、看過し続けた。
他でもない、この論理は男の論理である。闘争本能を滾らせて完膚なきまでも相手を叩きのめす。此れは男の仕業であり、男の特権であるかもしれない。
有史以来、人類の長い歴史はこの闘争に明け暮れて留まることを知らない。
とにかく、この男性志向の戦闘的歴史観に彩られた世界の中にあって、当然のこととして異端の主が現れても不思議ではない。
つまり、女性志向の平和的歴史観があっても何ら不思議ではない。
もともとあらがい事を本能的に避け、平和を希求して止まない女性的視点で世情を捉えた思想家たちが春秋戦国時代の乱世にも数多く輩出した。
その中にあって、人間愛・人類愛に根ざした儒家孔子の「仁」の教えや墨家墨子の「兼愛」の教えなどが諸子百家として、其処に横たわるのである。
その中でも取り分け、老子道徳経の第六章にみる文言が、少なからず当時の世相に影響を及ぼしていたのではなかろうか。
正統派の論陣に、正々堂々と疑義を差し挟み、異議を申し立てる諸々なる時代の寵児たちが忽然として輩出しても何らおかしくはない。
その張本人が江戸初頭の剣士針谷夕雲であって、その引立て役としてオバマ大統領にお出ましを願った次第なのである。
本稿の本題である針谷夕雲なる人物が、天下の大勢に背を向けるように無住心剣流を編み出し究極の剣の極意ともいえる相抜けの技を創出した。
誰しも未だ曽て考えにも及ばなかった、奇抜にして且つ独創的な、武士というより人間の根源をも見抜き洞察した剣の最終的術技を世に問うた。
けれども、世に定着することもなく、日の目を見ずに消滅する憂き目を負うてしまうのである。                      つづく