老いぼれの独り言

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「死に損ないの糞じじい」の背景に語り部森口さんが真摯に語り掛けても私語鳴り止まずとうとう業を煮やして「この場から退席しなさい」と最も厳しい叱責を彼らに浴びせた、その直後の暴言であったらしい。
公衆の面前で注意された事への逆恨みなのか。
そう云えば、新聞に依れば当該校長さんの口からも暴言に至る背後のやり取りを云云して生徒の言動を一見擁護するような発言があったやに伺えた。
立場上わが生徒を擁護したい心情は分らぬでもないが此れは問題外だ。
こんな甘い判断では指導そのものが成り立つはずがない。
誰しも失敗や過ちは仕出かそう、それに対しては場合によっては毅然とした糾弾を為さねばならない時もあろう。
其れを為すのが教師でありそうであるからこそ教師たる由縁があるのではないか。
恐らく、この中学校には当たり前の教育方針が定着していなかったと云わざるを得ない。
糾弾する方と糾弾される方、指導する方と指導される方の明確な区別が曖昧であったのではなかろうか。
偶々、その付けが修学旅行中に廻って来てしまった。
 
しかし、よくよく考えて見ればこれに類した現象は日常茶飯事として何処にでも見られることではないだろうか。
実は、わたしにも経験がある。
“刺し面は罷りならん!真っ向から大きく振りかぶり振り下ろせ!”
“打突の後は剣先を押さえて余勢で前へ突っ走れ!あたかも退き面のように竹刀を振りかざして大見得を切るのは見苦しい引き揚げだ!やめとけ!”
こちらの善意の忠告に対し返って來る言葉が
“役立たずの糞じじい早う死ね”
“うるせーなだまってろー”では本当に悲しく寂しい。
何かしら世情がおかしい。
一見穏やかそうに見えるが何故かしら最近は頓に世の中が何となく不穏で不自然だ。
テレビや新聞を見ても何となく少し変だ。
おもしろくない。
何もかもつくり上げられ捏ね回されているように感じてならない。
齢のせいかもしれない。
わびしい。