老いのひとこと

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菓子盛りの本体の部分は花器なり水盤なり丸鉢なりにと何なりと活かし方は多々ありましょう。


不思議なものです、何となく両の手の平に携えて黙念と立ち竦んでいると何故かしら吾が身自身が托鉢僧のように思えてきたではないか。


そうだ、此の器は禅僧のお坊さんが手にするあの托鉢に致せばよかろう。


あの鉢の事を応量器と称するらしく主として曹洞宗の呼び名であるのだという。


どうも、臨済宗では持鉢 ( じはつ )と呼び黄檗宗では自鉢 ( じはつ )と書いて区別するらしい。


いずれにしろ、一体だけでは事済まず三枚ないし五枚で一組と成してお坊さんの食器そのものになるのだという事を此の際に勉強した。


さしずめ此れは臨済宗に即して持鉢と呼ぶことにいたしたい。


此れにはわたし専用の玄米粥を盛ることにしよう。


次いで汁用のものとお新香用の小振りな持鉢を作らねばなりますまいぞ。


 


 


待てよ、追って来たるべきサイレントスタンデイングを決断するに至った其の際には是非これを携えて街頭に立たねばなりますまいぞ。


口をば真一文字に切り結びてまなこ光らせ吽形の凄まじい形相を演出いたさねばなりません。


これ願望なれど此の世に生を賜わる幾ばくかの間に是非体得いたさねばならぬ宿題にいたしたいのです。


陶芸の世界に遊んだ余技をこのような形で集大成できれば願ってもない本望達成ということになるのです。