老いのひとこと

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北海道への旅へ出立の7月17日は丁度「はじめての古文書入門講座」の開講日だったのでせめて資料だけでも見せて貰おうと取り寄せてみた。


然すれば偶然にも箱館に纏わる題材だったので大変驚きました。


文字の読めぬものが判らぬ文をいくら読んでも仕様がないが読み下し文を交えて判らぬなりに尋ねてみればぼんやりと少し見えてきた。


 


時あたかも風雲急を告げる慶応3年2月に廻船問屋の乗員が認めた「日鑑誌」がその日の教材でした。


此の「日鑑誌」とは例の日報のようなものらしい。


 


ぺリー来航を機に幕府は止む無く和親条約を結び下田と箱館の二港を開いた。


幕府は箱館奉行を置き開港に備えた。


当然、江戸表より何がしかの軍資金が箱館奉行所へ廻船にて送られた。


此の史料によれば五稜郭にある箱館奉行へ米4000俵が届いた旨書かれているのでしょうか。


 


慶応3年2月8日は10/14の大政奉還の8か月前になり榎本武陽が旧幕府敗残兵3000人と共に箱館に上陸するのが翌慶応4年10月21日だと云う。


明治維新と共に五稜郭に籠もる最後の抵抗も虚しく榎本共和国の夢は根無し草のように消えた。


此の4000俵の軍資金も新政府軍との戦費として泡のように消えたのでありましょう。