下手糞老いぼれ剣士の独り言

日本剣道形心得覚書=《上》 

よわい七十過ぎゆえ丁々発止と互いに打ち合うことよりも、むしろ形稽古に向き始めたとことに気付いた次第です。
わが身なりに形をお稽古する上で、心得て置いた方がよさそうな留意事項をいくつか覚書としてメモしたものです。
ありきたりのことばかりでしょう。年を取ると恥ずかしいという気がだんだん薄れるものなのです。どうぞよろしく。


1 帯刀姿勢より摺り足にて三歩前へ出るとき、一歩二歩と比較的速やかに歩めば、抜刀しながら三歩目に入る間は窮めて慎重に細心の注意を払うが如くに蹲踞姿勢へ持ってゆくべきと思う。
 立ち会い終われば、蹲踞し納刀立ち上がりおもむろに左右と退き、三四五歩と次第に敏速に下がる風情で奥ゆかしさを表現する。
 というよりは息の根の止め合いを為合うのならば当たり前の成り行きだろう。
2 木刀を携えて舞いを舞うではない。誠意ある臨場感を演出すべきと思う。打ち間まで入って打突部位で打突箇所を大技で振り抜き寸止めを敢行する。云う所の一拍子の技が要求される。
 しくじって大怪我をしないように真剣に稽古を積まねばならない。
3 太刀の形では、間合いに入ってから打太刀は機を見て打つとある。
此の機を見て打つの意味は、(先ず打太刀が攻めの気勢を示す)・・・
(仕太刀は攻められて心が動き技を出そうとする)・・・(打太刀はその出頭を捉えて先の技を出す=機を見て打つの意味)・・・(仕太刀は、その打太刀の動きをあらかじめ察知して応じ技へ転ずる=一・二・三・五本目は先先の先)もしくは(仕太刀は、その打太刀の動きを咄嗟に外して応じ返す=四・六・七本目は後の先)このように解釈する。
この「機を見て」の見解は稚拙なる者が独断と偏見で試みましたる私的な仮説に過ぎません。念のため申し添えます。
4 或る解説書に従えば、「先先の先」の技にて執り行なう一・二・三・五本目では、仕太刀は打太刀の打突をあらかじめ予知して、それを外して勝つのだという。
また「後の先」にて執り行なう四・六・七本目は、仕太刀は打太刀の打突を咄嗟に外して勝つ理合なのであると説明していた。
5 四本目で互いに間合いに接し、相手の正面に打ち込むとあるのだから相互に正面に届く間合いであるべきと理解すれば、八相、脇構えで三歩でる歩幅は小幅では届かないので普通の歩幅で出ればよいのではなかろうかと思う。
 普通の歩幅ででて、間合いが近すぎれば打太刀が下がって調整すればよいのはないか。
 重い甲冑を身に纏っていたのなら普通の歩幅とて少々小幅になりはしないだろうか。