老いぼれの弓事始め《20》

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初心者講習会開催中の最中のことで、随分以前の話です。
礼法について、いろんな角度からいろんな見解をいろんな先生方からお聞きする機会があった。
 弓道は礼に始まり礼に終わるのだという。
礼は本来禮と表す。豊かさを示すことになる。
何よりも心の豊かさが求められよう。
円満で懷深く、しかも慎み深い思いやりある心が求められはしまいか。
他を慮る温もりと思慮深い包容力が何よりも肝要ではなかろうかと思う。
斯くなる豊かな心を是非授けて戴きたい。
然すれば、授けられた当事者はそれに倍加した豊かな心で以って禮を返すであろう。
武道の指導者たるものは、一人深遠なる修行の暁にようやく到達し得た絶妙なる境地を彼の弟子たちに惜しげもなく情熱的に授けねばならない。
わざに非ずしてみちをである。
弓を通して人間の道を追求する事の大切さを無言で指南して戴きたい。
彼の当事者たちはこの真義を指南すべき義務と使命が存すると確信いたすものです。
罵倒するが如き厳しき指導も大いに結構だし、歓迎もしようが其処には微小たりとも弟子への人間道指南の情念が (ほとばし)り出なくてはならないのではないでしょうか。
馬鹿でない限り師の熱意に (ほだ)されれば師への感謝の気持ちが沸々と湧き上がり師共々彼の道場に対し深々とした一礼が自ずと生ずるのではないでしょうか。
国旗に礼をするというよりも何よりも道場と師への感謝の礼に他ならないと思うのです。