弓事始め《35》

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むかし、今出川学舎に岡倉古志郎先生の講義を同ヤンに成り済まし紛れ込んで拝聴に及んだことを思い出す。
いま高校生に成り済まし紛れ込んで弓道談義を拝聴している。
相も変わらずいやな性分だ。
でも、本人は左程悪趣味だとは思ってはいないのです。
講師の先生は話される。
弓は射るものであって決して引くものではないのだと強調される。
古来、弓を引くとはよく聞くが此れは洋弓などで左弓手で把手の部分をしっかり握って固定し、弦だけを右馬手で引く動作を言うのであって事和弓には当て嵌まらないのだと解説される。
況してや、謀反を企んだり上の者に楯突き反抗し敵対するネガテブな捉えかたにも通用すので猶のこと「弓を引く」という表現は避けたいのだと説明された。
それに引き替え「弓を射る」は射手はつまり射法八節の定めよろしく寸分違わず射の態勢を整えれば自ずと矢は的中する。
あたかも、正確に発射台に取り付けられた宇宙ロケットは目標地点に向けて飛び立ちこれ又寸分違わず目標地点に到達する。
正しく弓を射れば必ず的に当たるのだという。
あの阿波研造に纏わる奇跡の伝説、漆黒の闇夜に「弓を射れば」甲矢は的中し乙矢はその筈を射ぬき箆を引き裂いたというオイケン・ヘルゲルの確たる証言が如実に物語る。
興味津々たる講義にみな聞き惚れている。
 
静寂を破って天空の一角から声量豊かで透明な音色の囀りが響き渡る。
梢のてっ辺から四方八方に鳴り響く。
これ程の美声の主は珍しい。
オオルリかなと直感した。
オオルリしかいないと確信した。
家に帰り、本多の森にオオルリが生息するか自然史資料館に照会してみれば確認こそしてないが夏鳥なので飛来していても不思議ではないと回答を得た。