老いぼれの独り言

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此の南三陸ホテルは震源地の海底から至近距離にあり津波の洗礼をもろに受けたという。
幸いなことに、岬を直撃した分波の襲撃だけを受けそれでも総ガラス張りの建物の2階部分までは壊滅的打撃を被ってしまった。
それにもかかわらず、当ホテルは被災町民の避難場所として逸早く全館を開放し全面的に避難民救助を惜しまなかったらしい。
恐らく経営者も献身的なサービス精神に徹した方だったのだろう。
察するまでもなく此処の社員従業員の接客態度は只者ではない。
此の未曾有の災害を機に抜本的に変身し生まれ変わった証しなのだろう。
率先して語り部に名乗り出た社員も居るという。
また、寄贈本を募り仮設の図書室を提供したり、あの当時の生々しい記録写真を目立たぬ箇所で展示される其の心遣いにも敬服した。
此れ総てあの3・11を風化劣化させないための懸命なる方策なのでしょう。
加えてもう一つロビーの壁面に大きな張り紙が無雑作に置かれている。
此のホテルに投宿された方々が東北の被災地を見聞した印象をコメントとしてハート形紙片に端的に書き残したものだった。
夫々みな当を得た至言でうずまり感心するばかりだ。
無記名もあるがその多くは出身地の県名と名前が記してある。
福井や富山は見付けたがどうも石川ナンバーも金沢ナンバーもなかったのには些か気落ちしてしまった。
単なる風聞に過ぎぬがあの災害時にボランチアとして此処東北の地に入り込んだ人の数が九州諸県よりもわが石川県人は見劣りしたとの詰まらぬ通俗情報を耳にしたことがある。
しかし裏を返せば、それ程までもわが石川県人は我が名を名乗ることすら憚る至って謙虚で奥床しく情緒深い存在なのだとむしろ善意に解釈してもいいのかも知れない。
感謝の意味を込めて、帰る間際に一筆したため壁紙に張り付けてきました。