老いのひとこと

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9月18日の出来事については人それぞれ異なった思い入れがあって然るべしだと思う。


わたしの考えに対しどちらかと云えば家内や息子たちは批判的で否定的のようだ。


嫁さんたちはどちらかと云えばむしろ良心的のようだ。


先日の飲み会でも2対2に分かれて論戦を酌み交わしたのだが乱闘騒ぎには至らず何よりであった。


何時ものラジオ体操会場にある藤棚の下でお逢いする山鳥さんとは奇しくも意気投合してしまった。


今日の新聞にサイレントスタンデイングの記事を見た。


どうも此の一連の出来事の中から生まれ出た新語のようです。


サイレントのまま只ひたすらスタンデイングするだけらしいが相当大きな勇気が伴うらしいのです。


つまり、そんなことを為せば世間から笑われはしまいか恥をかくことになりはしまいかが脳裏をよぎるのです。


正しいことだと思いつつも遂ゞ弱気に陥り躊躇してしまうのです。


いわゆる、「恥の文化」をかなぐり捨てる真の勇気が試されることになりはしまいか。


 


 


解からないことが山のように数多くあるのだがその一つが何と言っても速記録の事でしょう。


未定稿とあるので何れもう一度推敲し直して書き改められるのでしょうか。


「聴取不能」を「起立多数に付き可決成立」と訂正することは誰がみても不可能だと思う。


解からないことが多過ぎます。


解からんことは判りませんとサイレントでもよい世の良識ある人たちに訴え続けねばならないのではなかろうか。


サイレントスタンデイングですか・・・


こんなものが此の世に存するのですか・・・。


兎に角、あの日を境にして日本の国が変わってしまったのですよ。


取り返しが付くのか取り返しが付かないのか日本国民みんながみんな冷静に判断すべき時が来たのだと思うのです。