老いのひとこと

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無断掲載



今回の教養講座は牧師さんのお話でした。


年の瀬の此の時期にはXmasに因み例年牧師さんが担当為されるらしいのです。


今日のお話は大変面白かった。


今日お見えの牧師さんは長年伊勢市の山田教会に所属なされ伊勢神宮プロテスタント教会との奇異なる結び付きについて先ずはお話しなさった。


日本神道の始まりと云われる伊勢神宮のお膝元に何故イエスを神と仰ぐ教会があるのか。


恐れ多くも厚かましくある意味図々しくも感ずる。


事の発端は明治22年の年に此の伊勢出身の伝道師渡部フミさんが此の地に教会設立に漕ぎ付けたのだという。


耶蘇教排斥のさ中布教は困難を極めたが周囲の助けがあって山田教会が建てられ初代の牧師に中須治胤 ( はるたね )二代目に冨山光慶が就任し以後軌道に乗り現在まで存続するとのお話でした。


奇しくも初代を担った中須治胤は事も有ろうに伊勢神宮に仕える神官の身でありながら理由あって神職を捨てて牧師さんに、更に二代目を継いだ冨山光慶は三重県亀山市天台宗のお寺長賢寺の住職さんであられたが事も有ろうに仏門を捨てて牧師伝道の道を歩む異色の人物でいらっしゃるのだという。


日本神道と仏教とキリスト教の3者が混然一体となり不思議な色合いを織り成しているようにわたしには覗えた。


でも、決して日本教徒キリスト派でも日本教徒仏教派でもなくお二人は純然たるクリスチャンで居られるはずだと固く信ずる。


何れにしろ此のわたくしは「主イエス・キリスト降誕」を口遊み「除夜の鐘」の音にこころ潤ませ「白山さん初詣」に参拝し柏手を何の気もなく打つのです。