老いのひとこと

イメージ 1


イメージ 2





高橋精路はわたしのひいじい様になる。


とても信心深き御方であったらしくお寺さんのみならずお宮さんにも篤い信仰の証を顕わさんとされたようすがよく伝わってくる。


精路は石浦神社へ参拝し家族のものがみな氏子であることを神主さんから保証して貰った。


木札はその保証書となるのでしょう。


その為には何がしかの金子を包み浄財といたしたはずです。


果たして幾ら程の金額だろう非常に興味深く思った。


ならば、直接石浦神社へ赴き社務所の門を叩いてみようと早速自転車を走らせた。


ところが、巫女さんでは応じ難く詳しい人物も今日は不在だと云ってつれないお返事しかなかった。


その足で泉野図書館へ立ち寄り検索を依頼したが石浦神社に関わる史料は玉川の方にあって此処にないと此れまた実につれない。


おまけに、有松交差点では人身事故にまで出くわしてしまう何とも付きがない日ではないか。


帰宅してから、木札の裏面にみえる石浦神社の祠官加藤里衞( さとひら)をネットで検索すれば一気にすべてが雲散霧消していった


神職加藤里衡の子息が郷土が誇る著名な化学者飯盛里安であるという。


さらには「氏子調」なるものがあって明治の世になると神仏分離が唱えられ仏より神の世の中に変化し仏教が廃止され釈迦の教えが悉く破壊された。


それによって長く続いた寺請制度に代わる「氏子調」の制度のもと民百姓は郷社という神社の氏子となることが義務付けられたのだという。


斯くなる意味合いを持つ歴史的木札史料でした。


燃えるゴミとしてゴミ処理されボイラーに焼べられるより最寄りの小学校の社会科資料に役立てればそれに越したことはない。