高知と京都をあるく≪8≫

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高知に来て一見いたしき箇所に土佐英信流の宗家家元でのお稽古拝見があったが敵わぬ夢でした。


又もう一つ、歌に云うカンザシを買ったという純心なるお坊さんは竹林寺の僧純信さんであったという。


せめて31番目の札所でもある此の竹林寺の門前に立ってみたかった。


そして、その直ぐ真横に牧野植物園がある。


外でもない牧野富太郎は此処高知の生まれでした。


裕福な造り酒屋に育ちながら小学校しか出ていない。


それも卒業ではなく中退だという。


つまり学校で学業に勤しむ間も惜しんで大好きな植物のお勉強に熱中為された何よりの証なのでしょう。


それも全て独学で成し遂げたとはやはり怪物中の怪物をいえまいか。


天下の東京帝国大学に50年近く籍を置き教鞭を振ったという。


尤も学歴が学歴故助手から講師止まりで終わったらしいが東大より理学博士号の称号を取得したと云うからこれまた凄い。


「日本の植物学の父」と称賛され東大内でも高く評価された半面恐らくは低学歴をかどに蔑まれ疎んぜられた悲哀を舐めたのではあろうことは想像に難くない。


50万種の植物をこよなく愛しつづけた牧野先生の命名になる「ワルナスビ」を思い返した。


始末に負えない邪険ものにされたがそれでも温かい愛情が注がれていたのでしょう。


先生の素晴らしい名言「雑草と云う名の植物は此の世にはない」を地で行く光景を目の当たりにしてきました。


沿道の至る所に銘板が所狭しと林立する。


地を這う目立たぬ草木にも名前を明記して吾らに紹介している。


踏み付けられるような小さき生命体に対しても大きな愛情をきめ細やかに指し示しているではないか。


此処も門前でお暇してしまった。


いずれ天国から舞い戻りゆっくりと心ゆくまで此の植物園と来春オープンの龍馬記念館をあるかねばなりません。