くっ付けてもらった差し歯の点検に歯医者さんへ参れば此の際入れ歯を着用しなければ此の差し歯は間もなくして脱落するはずだと忠告をいただく。
実は入れ歯が苦手で手持ちは在るには在るのだが用いず仕舞いだったのでサイズが合わなくなり再度新調せねばならぬ羽目に陥った次第になる。
親から授かった大切な一本を先生は無情にも引っこ抜かれた。
麻酔恐怖症には拷問同然、目隠しこそあれ顔面引き攣る形相は此れ誰にも見せたくはない。
周りから盛んに「力を抜け」のお声が掛るが無慈悲なる声にしか聞こえない。
福岡惣助の生き胴の刑を彷彿とさせる内にようやく解放された。
随分長い間お世話になった一本の犬歯を眺めれば重なるようにお袋さんが現われ「痛かったかいね」と微笑んでくれる。
抜かれた歯はやはり生身の匂いがする。
わたしには決してイヤな匂いではない。