老いのひとこと

イメージ 1

イメージ 2




先日大阪へ行った際にみんなして「あしゅらさま」を見に行きました。


1300年むかしの奈良時代と云っても小3の子にはよく分からないでしょう。


それにも拘わらず色とりどりの物凄い数のほとけさまに取り囲まれたまま薄暗い建物の中で正味一時間以上の長い間よくぞ辛抱したものだ。


いや、決してイヤな時間を我慢したのではなくむしろ不思議な魅力に取り憑かれていたようにさえ見受けられた。


子どもなりによく分からぬなりに各種各様のほとけと其のほとけを守る神々の表情に興味を持って魅入っていたのではあるまいか。


 


わたしらには語る資格はない。


わが子に宗教心を施す養育は全くしなかった。


でも息子の嫁はそうではなかった。


先祖を敬う佛心は夫を感化させ子供たちの心の中に侵透させていた。


盆暮れに来て帰る際には必ず仏壇の前で全員が揃い合掌する。


 


だから孫たちは興福寺の夥しい数の仏像に取り囲まれても一向に苦にはならずむしろ快感すら覚えたのではあるまいか。


だから帰宅したその直後にまだ鮮明に脳裏に焼き着く阿修羅像と佛頭の印象をスケッチブックに描きなぐったという。


佛心がなければ描けぬ作品です。


上手下手ではなく佛を想う真心なのです。


 


 


 


ナオちゃんのあしゅらさんの絵は今度大阪へ行ったときに見せてちょだいね。


ルイちゃんのなんなさまの御顔もみてみたいな。