老いのひとこと

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電車の踏切に無造作に墓標が建つ。

殊更、意に介せずに通り過ぎていたが偶々今日はお花が添えられている。

此の石柱に関わる人物がきっと此の馬替近辺に居られよう。

少しく親近感をおぼえ立ち止まって見れば昭和34年3月16日の日付が刻まれる。

当然ながら62年前の出来事など記録にあろうはずがない。

未だ車社会とは程遠き頃なので果たして何事があったのであろうかと色々思いを巡らせる。

お彼岸に際し愛しき身内の霊魂を偲んで人知れず供花を手向けられた。

其のお方の後方に立ち此のわたしも手を合わせてきた。

平仮名混じりで「ふみきり注意」とある。

或いは、若しかして幼気な幼児の不慮の出来事を予感してしまう。

 

 

34年は学卒の年、仕事が内定しこころ引き締まる我が青春の一時であった。

菊水町へ赴任いたしました。..

 

 

老いのひとこと

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連日、額新保地内をそぞろ歩く。

四季折々の花の楽園に至る手前の一角に気になる石像が一基ぽつねんと佇む。

象の鼻を祀った異国風の石像で素人目には砂岩の原石をこま目に細工し彫塑されている。

高さはⅠメーター近くで相当の重量だ。

台座の上に安置される。

或いは此の家のあるじが信心する対象物かもしれない。

特異な御方に違いなかろう折あらば拝顔に与かろうとチャンスを捜すのだが中々逢えなかった。

先日のこと車中より住人らしき人影、思い切って声を掛けてみた。

余り見かけない此の石像は何でしょうかと語り掛けるとビジネスマン風の紳士はにこやかに応対してくれた。

バリ島観光のお土産に過ぎませんよと云う。

バリにはヒンズー教徒が居て彼らには象の鼻が信仰の対象らしいですよ語ってくれた。

本体よりも船賃の方が大変でしたよと笑われる。

バリとグァムの見分けの付かない頓珍漢にはとても好い勉強になりました。

日ごとに春の陽気がただよい始めました。

 

老いのひとこと

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所詮、そもそも無知蒙昧なる老人がブログに手を出す資格なんてあるはずがなかろう。

案の定、又しても同じ轍を踏んでしまったではないか。

笑ってしまえ死んでしまえだ。

無料ブログサービスの恩恵に与かるものが何ゆえ以ってわざわざ有料の悪夢のような「おなまえドットコム」の謀略の罠に引っかかってしまったと云うのだ。

貴様ほど愚かなりし馬鹿者は此の世には居ない。

まさに自暴自棄、自己嫌悪に落ち込むばかりだ。

 

さっそく良心的にサポートしてくださる御方のご好意で更新手続きの解約を願い出てみたものの既に手続きは完了しているので解約は罷りならんと突き放される。

やはりおバカさんは死ななきゃ治りそうにない。

 

 

老いのひとこと

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大日川沿いの数瀬の山里には未だに残雪が1メーターを越すと云う。

消え失せるのは今年は5月過ぎだろうと出口さんは云う。

綺麗な空気と水が育んだ白山麓の蕗の薹は格別に強い香りを放つ。

有り余った此の頂き物を有効に活用いたさねばならない。

この春を告げる芳醇な香りを丸ごと封じ込めたい。

又しても「蕗の薹味噌」じゃ芸がなさ過ぎよう。

思い付いたのはやはりさっと煮付けるしかない。

お鍋に味醂に料理酒と焼酎を入れ打つ切りした薹を放り込み茶葉と魚汁と魚粉に蜂蜜少々・剣崎なんばで味付けした。

無造作な素人仕立てではあるが此れが何と美味い事か。

玄米飯に実よく合う。

旨いとは云え其処は吾輩は三箸作戦を継続中に付き鱈腹とは参らぬところが味噌なのだ。

夕べには晩酌の恰好の御伴をして呉れるのですよ。

 

 

老いのひとこと

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スズメのお宿の近くの三色ポールが今日は止まっている。

月曜ならバーバー84の休業日です。

近付けば玄関先に先代のマスターらしき人物がわたしを待ち受けるかのように佇んでいる。

すれ違いざまに其の老好爺は人擦れした慣れ慣れさでわたしに言葉を掛けてこられた。

でも時候の挨拶ではなくわたしの耳には「どちらさん」ですかと聞こえた。

答えない訳には行かぬので、かと言って名前を語るのも可笑しいと我が家の在り処を知らせようとするが先方さんは何かしら怪訝そうだ。

やはりそうかとわたしは耳を押さえてジェスチャーすれが此の好々爺はニコッと笑いわたしの肩に手を宛がい「ごくろうさん」「ご苦労さん」と声を張り上げられるのです。

年寄りが喘ぎ喘ぎ杖を突いて歩くので励ましの労い言葉「ごくろうさん」が投げ掛けられたのを「どちらさん」と聞き違えた次第なのです。

此れも笑えぬ笑い話になる。

 

やはり散髪屋さんは昔取った杵柄からして対人マナーが卓越して良好で円満なのです。

 

 

 

老いのひとこと

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山麓数瀬の産だから正真正銘の蕗の薹で舌触りも香りも濃密で深山の妙味そのものだ。

先ずはフライパンにオリーブオイルを敷いて麹味噌を加熱し大胆に刻んだ蕗の薹を大皿一杯を放り込んで混ぜ合わす。

其処へ難波の香辛料とクエン酸と蜂蜜少々に細断した柚子を加えて仕上げとした。

ほろ苦い春の香りは朝めしのお供に絶品だ。

一ケ年間の保存食を冷蔵庫に確保した。

 

 

老いのひとこと

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近所のお寺さんの門先に張り紙が出された。

「物を食べる」生活より「いのちをいただく」生活へと書かれている。

三度の食事に好みの品を鱈腹いただき食欲を満たすことも大いに結構なことでしょう。

そもそも滋養のある食物を摂取しなければ生命は成り立たない。

だからと云って意の赴くままに箸を進めれば過食の罠に陥りカロリーオーバーが元で様々な現代病に冒されるのがオチになろう。

仏道は此れを戒める。

「いのちをいただく」生活へとギアを入れ替えなさいと説く。

今日ある此の命を有り難く頂戴し精いっぱい今の此の一時を大切に生きねばならない。

今の此の一時に歩みを執れる健全なる五体に感謝の念を燃やしつづけねばならない。

早晩訪れる筈の宿命は歩みを執れる活力も気力も消え失せ漆黒の闇に閉ざされようとも今日ある命に感謝できる人間力を培養しなければならない。

そのためにも今を大切に生きねばならない。