老いのひとこと
農作業雑記
其の一
原付バイクのキック式始動でエンジン音が鳴る、冬越しした耕運機のスターター紐を引けば此れも高らかにエンジン音が鳴り響く、さあ共々春だ、脳作業の始動だ。
年齢の事など構っては居れない脳作業用の出で立ちでさあ出動だ。
脳作業仲間に聞けば萌えいずる諸多の雑草ども諸共耕運爪で掻き混ぜた、手間省きという省力化だ、此れも脳作業に違いは無かろう。
何分本体たる主役のジャガイモや野菜たちの成育に伴い間違いなく此の地中に埋もれた雑草たちも恨みを晴らさんばかりに繁茂いたすことだろうが此れお互い様だ、其の時は抜き取るしか無かろう。
其の2
生憎、此の弟から戴いた耕運機には畝上げ機能がないので此ればかりは手作業で為さねばならない、畝立てには一切お構いなしに草諸共放り上げる、重労働は老体には堪える。
手抜き行為のしっぺ返しあり、此れがまた大変難儀であることを知らなかった。
老いのひとこと
舟田氏の執念には些か驚きを禁じ得ない。
彼は大正から昭和初期の頃小学校で教鞭を執ったという自分の叔父の足跡を執拗に追跡し遂には居所を突き詰めたのだと誇らしげに語る。
そして、彼が言うにはわたしの親爺の分まで探し当てたのだと鼻息を荒くして其の事を報告がてらにわざわざ拙宅まで来駕くださったのだ。
早速乍ら、いとも容易くわたしの父親の顔写真をパソコン上に表示されたではないか。
親爺二十歳の初々しい素顔に違いない、大正9年3月に石川師範学校本科第一部の卒業記念写真が目に前に飛び込んできたのです。
詳しいことは知る由もないが恐らく一時は秘匿情報で在ったであろうが期限きれで全面的に公文書の情報開示がネット上オープンになったのでありましょう。
公文書の情報開示はもはや時代の潮流に為りつつあって、そうなって然るべきことだろう。
往時の写真資料が破棄されずに済んだだけでも御の字ではないか。
親爺さんはやはり何んと云っても親爺さんに似ていて当り前だが親子なので何処となく此のわたしにも雰囲気が似ているようだ。
それにしてもわたしには何時も厳父であった父親が斯くも柔和に映るとは矢張り齢の所為だろうか。
当然弟たちにもよく似ているよ。
老いのひとこと
若かりし頃用いたスキーのストックを持ち出し外歩きに際し二本杖を突くことにした。
山歩き専用のものもあるらしいが廃物の再利用と決めた次第、
見っともない見苦しい限りながらお構いなしのへっちゃらだ。
さすがリングの部分は切断したが何分長さが長すぎはしまいか。
肩が張って肩がこる、脱力脱力と言い聞かせるが慣れるまでは仕様がなかろう。
突く位置を体の後ろにして上手に扱えば自然と体が前へ押し出され歩みが楽になる。
但し歩調のテンポが速くなり可成り疲労感があり一長一短ありと云えり。
疲れて突く気力失えばストックを引きずるザマは様になりませんが、でも二本脚より四本脚の方がバランス感や安定感を得るのに大いに助かりますよ。
二本杖を上手に使いせっせトットと歩み給えよ。
老いのひとこと
ああ棒切れや
つわもの気取りの
夢のあと
法定の形のために仕立てた木剣が二本、日本剣道形を演ずるための太刀と小太刀、取り分け愛用の使い慣れた本枇杷木刀はわたしの分身だ。
黒檀まがいの木刀は重くて使い物にならず飾り物に過ぎなかったなあ、悪かったなあ。
素振り用の赤樫木刀にも水牛の本革製の鍔が装着するではないか。
しかし今となりては只単なる棒切れ、木片の切れ端と化した、極めて残念至極と云えり。
然りとてゴミ処理場へは行かせたくない、願わくば我が柩と共に火にくべて欲しいものだ。
一介の剣士を夢み強者気取りで精進したが精進足りずに老いぼれ朽ち果てる、夢のまた夢で在ったなあ。
鍔付き赤樫木刀は舟田氏に贈与した、快く受け取って呉れてなによりだ、善きお人に引き継がれ何よりだ。