高橋家の墓地にべったりくっ付くように能路家の朽ち果てた残骸が姿を留める。 ところが能路家ではなく能路氏と刻まれる墓石は恐らく為次の父能路小左衛門が亡くなる2年前の安政2年に建てたものと推測できる。 此の安政2年時点では為次は若干13歳の少年で父と…
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