老いのひとこと

家の前に城谷川なる小河川が流れる、倉が岳を水源地するらしい。

集中豪雨時には濁流が逆巻くが平素は穏やかそのものでやがて今年もホタルたちの乱舞の時節を迎えよう。

それでも川床には二抱えも三抱えもする摩耗した丸石が覗える、恐らく何億何千億の太古の昔に生成したものだろうと只々感心するばかり。

つまり、此の地とて広い意味では大河手取川扇状地でありましょうから白山噴火で飛び散った巨岩が手取大洪水の度ごとに年月を掛けて浸蝕され此の地にまで転がり来た。

区画整理の折にそれらの丸石を此の城谷川に投棄したのだろうと想像をたくましく自分なりに納得いたすのです。

 

 

と同時に此の不束者は何故かしら好からぬことに想いを馳せる。

どうも此の石には政策活動費50億のあの方のお顔がチラつく、此の石は何千万の裏金キックのあの人と重ななあと好からぬ連想ゲームに興じたり致すのです。

 

嘗て町の長老からうかがったむかし話をつい思い起こす。藩政期には隣の馬替村の墓地があり、一基の鎮魂碑が其の記念の証しとして今も遺されている。

 

どうも其の当時の廃棄された墓石が大量に此の城谷川に遺棄されたので今以って川面に露呈しても全然可笑しくない。

現に角ばった残骸があちこちに安置されるのです。

 

 

 

 

数十億年前の天然石と墓石の残骸が渾然と混在する我が故郷(ふるさと)のこよなく愛する城谷川のほとりを余は杖を曳く。

 

此の河畔に住をたまわり四十有余年常日頃よりいにしえの風物を慈しみ且つ慣れ親しんで終には骨を埋めましょう。

 

大自然が織り成す悠久の営みの中にあってちっぽけな人間の喜怒哀楽なんて取るに足らないものなのだろうなあ。