老いのひとこと

何ら確たる検分も検証もないことを記するは心許ない限りだ。

家の前に城谷川が流れる、倉が岳が水源地だというらしい。

藩政期の高尾村と馬替村の境界をなす此の城谷川は当地区の延べ27年の長期にわたる区画整理事業の完成に伴い昭和62年には堅固な護岸が施され今日の姿を見る。

初夏にはホタルが乱舞しカワニナが生息し、またハヤが群生し地アユが遡上する、稀ではあるが金魚・鯰・亀さえ遊びに来る。

加えて四季折々にキクザキリュウ黄金花・タカサゴユリジュズダマミゾソバ・シロシキブにムラサキシキブらが絢爛と咲き誇り枚挙にいとまがない。

 

処が実は此の自然美豊かな此の城谷川にはよくよく観察すれば至る所に墓石が転がるのだ。

河川改修の折、ドサクサに紛れて古の在所の墓地整理に際しこっそり此の川の川底に放擲したのだろう。

長い年月と共に地表に露呈した、それが何故か知らねども拙宅前に顕著に見受けられるのだ。

散策がてらに河畔を歩くに際し好からぬ発見に至ってしもうた訳だ。

 

亡者の亡霊が今漸く浮かばれたと思わば好かことではないか。

折角のことだから無縁の仏さまを懇ろに弔って上げねばならないのです。