老いのひとこと

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城谷川の岸辺には四季折々多種多様なる植物が生い茂る。

名の知れぬ雑草の中で一際威風堂々としたのがいる。

身の丈六尺もあろう巨漢で眼下で見下ろせば一見葉っぱがトウモロコシにそっくりなのだ。

野生のトウモロコシかも知れない。

名前を知りたいとネットで捜すが見当たらない。

ならば秘蔵の牧野富三郎「雑草三百種」を紐解こうと書架を見るが無いのだ。

在るべき書物が在るべき箇所にない。

隈なく探すがない、血眼で捜すが出て来ない。

上気した頭を冷やしながら本気で捜すが何処にもない。

家族にも見てもらったが出て来なかった。

此れは留守中に植物通のマニアが狙い撃ちして持ち去ったに違いないと邪悪なことを邪推する始末。

もはや狂気の沙汰だ。

落胆し果て失意のどん底のまま漸く諦めることとした。

 

 

 

その翌日、散歩を終えて机上に目を遣れば在るべきものがちゃんと現れたではないか。

家内に問い質せば「お父さん、あなたは何処に目があるですか、棚の上から二段目の奥の方に伏せられたまま在りましたよ」とケロリという。

まさに信じがたい事、まるでキツネにつままれた思いだ。

兎に角、在った好かった。

助かって好かったと胸を撫で下ろす。

 

昭和15年発刊の本著―「PLATE51」にジュズダマとあった。

お目当ての雑草は数珠玉でした。

溜飲が下がる思いです。

今年は何が何でもお数珠を作って野田山へお参りに参らねばならない。