老いのひとこと

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たまたま偶然にも三十四年振りの再会でした。


実に珍しいお方にお逢いしたのだが不本意にもわたしはそのお方のお名前を完璧に失念していました。


ところが、そのお方は紛れもなく此のわたしの名を完璧に記憶なされていたのです。


バツが悪いと云おうかとても気まずい思いをそのお方にさせてしまい弁解の余地も何もありません。


加齢と共に襲い來る重大なる記憶喪失の所為にしてそのお方にご了解を頂くしかないのです。


 


実を申せば、例の利家愛蔵の「金鯰尾兜」が焼き上がって来たのだが何せ黄色の色化粧土で誤魔化す程度の代物でしかない。


これでは利家公に申し訳が立たない、早速ホームセンター武蔵へ赴き金箔を捜すが何と在庫がないというではないか。


でも、その店員さんは東山界隈のお土産屋さんでビン詰の屑金箔を求めればそれで十分でしょうと大変ご親切だ。


東山の小路にて、とある金箔のお店で事情を話していたらこれまた実にご親切な店員さんがいらっしゃるものだ、直ぐ近くに当店の作業場が在るのでそこで尋ねなさいと道案内までして頂いたのです。


すると、気のよさそうな職人さんが応対されて此のうるし塗料は必ず原液をシンナー系でない薄め液で薄めた方がよいそして金粉ではなく金箔そのものを張りつけなさいと実に懇切丁寧に解説なされるのです。


今どき珍しい御方がいらっしゃるものだと感心しながら肯いていたら、行き成りそこお方は生真面目なお顔で目を見開き此のわたしを知らないかと尋ねくるではありませんか。


此のわたしに見覚えがないかとまじまじと見詰めながら迫りくるではないか。


あれ此れこころ当たりを捜すがどうしても出て来ない。


思案顔するわたくしにあなたは高橋さんではないかと先手を取られたのです。


こりゃ参りました、お見事な一本を頂戴したその矢先に僕はふじもとけんいちですと告白なさったのです。


ところが、やあーふじもとさんですか思い出しました悪かった御免なさいと明言する確信が何処にもない。


こちらの窮地に気遣ってそのお方はむかしの経緯を語られたのです。


二本目の大技には返す言葉もない。


ショックでした職業意識が希薄で混濁した此のわたしは疎んぜられて然るべき存在だ。


恥ずべき存在に違いない。


激しい自己嫌悪に陥ってしまったが反面このように始末に負えない下らぬ人間を記憶の範囲内に留め置いてくださった温情に只々頭を深々と下げざるを得なかった。


泪が出るくらい嬉しかった。


金鯰尾が取り持つ合縁奇縁只ひたすら感謝申すだけです。


けんいちさんは此の作業を僕に任して呉れませんかと云う。


是非、やらせて頂きたいのだと美しい笑顔でおっしゃったのです。