老いぼれの独り言

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 パレスチナガザ地区の子供たちが震災犠牲者の追悼に凧揚げを  無断制裁
 
三度目の三月十一日がやってきた。
 実は正直言って、未だに此のわたしは東北の地を見舞ってはいない。
 実に不埒な奴だ。
 不届き者だ。
 良心の呵責に責め苛むる身なのです。
 それで、今年こそはと決意した。
 ところが、二三人同行の共連れに当たったが同意を得られず、わたしは単独で入ることにした。
 1300CCのマイカーを駈って野宿覚悟の巡礼の旅を思い立った。
 ただ、ペーパードライバーの家内は宛てには出来ないので全行程を熟すには正直のところ大きな不安が残った。
 伝え聞いた息子たちは早速釘を刺してきた。
 「飛んでもない絶対に無理だ」という。
「年齢を考えなさい」と云う。
老いては子に従うべしと二つ目の「仙台行き高速バス」案に乗り換えることに決めてプランを練り直していた。
 その矢先に次男から連絡が入り、五月連休明けに休みが取れそうだという。
 それまで待ちなさいという。
 三か年と二か月遅れかも知れないが漸くにして地震津波の爪痕に身を寄せ原発の脅威に身を曝して同じ日本人の一人として何を為せるか何を為すべきか又憚るべきは何かを真面目に真剣に思いを巡らせ熟慮いたさねばならぬ時がやって來た。
 草のしとねを肌で感じ東北の地に寄り添う機会が今まさにやって来た。
 兎に角、行くからには何を差し置いてもスコップに軍手と土嚢袋、そして万が一に備えお数珠と線香を必携致さねばならないと確と肝に銘じた。
 生憎、長兄は零細企業自営の身ゆえままならずその分まで東北の地にその意を届けて参らねばなるまい。
 いみじくも、先日発信した30年前に厳しき折檻いたせし次男坊は今や立派な大人に成人してくれた。
 かれは既に幾度となくボランチア奉仕にこの地に足を入れている。
 彼なくして「みのくの道案内」を請い詰む者は此のわたし等にはいるはずがない。