道場を主宰される守山さんはご自身本格的に柔道に傾倒為されたお方らしいのだが此処は直接柔道とは関わりはない。
独自な手法で指圧術を考案されそれを武圧術と命名されたと聞いた。
本来、武術には殺法と活法があり人の生命を殺傷する一面と人の生命を蘇生させ治癒整復に重きを置く側面があるのだとおっしゃる。
実に面白いではないか。
しかし、此の武道への正しき評価が歪曲され只勝たんが為の優勝劣敗の勝負観だけが独り走りしそんな中で中高生に武道科必須をいくら声高に叫んでみても虚しさが募るばかりではないでしょうか。
柔術は人を投げ飛ばすよりも人の痛みや痺れ麻痺を除去する事の方により重大な役割りを担う。
これを不言実行されるのが守山氏に他ならない。
うつ伏せのわたしの体に施術の鉄槌が振り下ろされた。
鉄槌というより鉄製の爪のようなドリルのようなものでわたしの骨革筋右衛門のような肉体に楔を打ち込むように抉( えぐ)られはじめたのです。
悲鳴に近いうめき声がでる。
悶絶甓地のさまである。
恥ずかしいから声にしないように我慢するが耐え切れない。
まさにこれ以上の荒治療はなかろうことよ。
必死の思いでベットにしがみ付き額には脂汗が滲む。
左側上半身から腰へ太もも脹脛( むこうずね)から足の指先まで揉み解され次いで右半身に移る。
況してや患部の右腰から右脚右足首はより丹念に懇( ねんご)ろにやられました。
さらに、左右の腕から休む間もなく仰向けになり再度拷問の刑に等しい得難き施術措置を身を以って体験いたしました。
もちろん、喰い込んだのは守山氏の10指の指先に他ならず悉く全身に分布するツボの部分をピンポイント爆撃為されたらしいのです。
詳しい事は存じ上げないが経絡の箇所を的確に刺激為されたとのことでした。
正味1時間の長丁場でありました。
ずっしり澱んだ棒のような下肢がすっかり軽く感じた。
けろっと痺れもとれたように感じた。
帰り際に先生は、恐らく明日明後日頃には再度元通りの痛みが襲来するかもしれないが治癒に至るまでの通過点なので決して落胆したり気に留める必要はないのだと強調なされていた。
まだ此の時点では「効果あり」の判定はだし難い。
一週間先いや十日先には明らかになろう。
固く信じるしかないのです。