老いぼれの独り言

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半人前の洟垂れ小僧が今更武道精神を云云してみても始まらぬことぐらい百も承知だ。
 考えて見れば戦後一時期少年剣道が隆盛を極め野球やサッカーを凌ぐ少年剣士たちの多くが町道場の門を敲いた。
 世の親たちの多くは我が子に剣道を学ばせれば「良い子になる」と固く信じて疑うことはなかった。
 何故ならば、全剣連が謳う剣道の理念には『剣道は剣の理法の修錬による人間形成への道である』と明記されるのです。
 つまり、剣道を志せばみないい子になる、良い人間に育つ、良き人間が形成されるのだと確信したのです。
 処が、其処に大きな落とし穴があったのでしょう。
 各道場主は入門者を確保せんが為に入賞者数という実績を相競う羽目に陥ってしまった。
 人間形成は二の次三の次で兎に角試合で勝利することが至上命題となってしまった。
 勝つための剣道が世を挙げて徹底的に追及され始めたのでしょう。
 当然と云えば当然すぎる。
 当たり前なことではあるが一面虚しい事のように思えてならない。
 
 生意気にも大口をたたける分際ではありませんがわたしが知る限りにおいて小川忠太郎先生とか井上正孝先生ら多くの見識深き方々が警鐘を打ち鳴らされたように思えてならないのです。
 しかし、ひとたび勝利至上主義に毒されてしまった剣道界は旧態依然たる様子のままいたずらに時だけが流れてしまった。
既にかつてのブームは消え去りました。
何よりも人間形成という崇高なる理念が薄れかけてはいやしないかと危惧いたすのです。
 打った。
中った。
勝った。
 はい、おわり。
 残心なく、打ちっ放しが野放しになれば日本剣道には明日はないと思う。
 現に富士山や富岡製糸場世界文化遺産に名乗り上げ、能楽や和食がユネスコ無形文化遺産に登録されるのに何故以って日本古来の竹刀剣道が振り向きもされず話題にも上がらないのか。
 剣道人はみな猛省して然るべしと思う。
 就中、指導者と名の付く高段者の方々はシャキッと姿勢を正し襟を整えて戴きたい。
 古来生粋の武道精神の灯が消え去らぬようにむしろ欧米諸国の武道愛好家が真摯に伝統維持に取り組んでいるやに聞くのです。
 日本伝統の技が逆輸入されるようでは些か寂しいことだと思わざるを得ないのです。