老いぼれの独り言

イメージ 1
 
 
69年前の8月15日は二俣町の大瀬さん宅に疎開中の身でありました。
8月15日は終戦の日ではありません。
わたしに致しますればまさしく敗戦の日に違いありません。
わたし自身がわたし自身に負けたという意味合いです。
わたしはわたし自身の意思を制御することが敵わなくなってしまったという意味なのです。
わたしはひもじさの余り人様の家の御櫃に素手を突っ込み貪り喰らった。
野良猫のような足取りで他人の家へ入り込み野良猫のような目付きで他人のメシをほお張ってしまった。
喰うものがなくて腹が減って腹が減って、学業どころではない戦況のことなどまったくと云っていいほど眼中になかった。
そんなことはどうでもよかった。
活きるため餓死を免れるためには空腹を満たすことしかなかった。
だから、他人の家のメシを断りなく勝手に喰らっても良いという理屈には絶対に成り得ない。
こんな言い訳が成り立つはずがありません。
わたしは、紛れもなく人非人に成り下がってしまったのです。
 
 
 
わたしがわたし自身の前に崩れ落ち大敗北を喫した記念すべき8月15日なのです。
 
懺悔の意味合いを込めて今やわたしは玄米飯を喰らうことに決めている。
どうしたことでありましょうか白米が怖いのです。
あの当時のあの時を思い出し白米を見ただけでわたしの口の中がわなわな震え出してしまうのです。
忌まわしき8月15日の思い出は齢と共に枯れるどころかだんだん弥増す思いがしてならない。
 
 
敗戦記念日の今日、いつもと変わらぬ朝のラジオ体操を終えて家路に付いた途端突然のにわか雨に見舞われた。
 
秋来ぬと 目には定かに 見えねども
         朝の驟雨に 驚かれぬる
 
風の音も然ることながら今朝のにわか雨の何んと冷たかったことか。
間違いなく秋が直ぐそこまでやってきている。
 
そして、今朝も玄米の味を確と嚙みしめました。