老いのひとこと

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陶芸教室からの研修旅行に参加した。


今年は越前方面へ越前焼の郷を探訪してきた。


往路の車中で大先生からご挨拶をいただいた。


予てより此の先生の話題はとても豊富で多面的であり尚且つ話術がユニークなので長話にも決して退屈することはない。


先輩諸士を含めた陶芸仲間の入選作の披露を兼ねていろいろ講話が進められその一番最後のところで例示されたのが事もあろうに此のわたしの作品であったではありませんか。


びっくり仰天したし恐れ入ったし片や一方とてつもなく栄誉に感じたりもした。


当然ながらわたしの作は入選とは無関係であります。


のみながず、作陶の技法は極めて雑で何の取り柄もないにも拘らず発想だけが若々しく斬新で奇抜なので面白いのだと云ってくださいました。


見る者の目を引付ける不思議な力があるのだと身に余るお褒めの言葉を頂戴してしまったのです。


手前味噌を引っ提げて我田引水のような言い種は鼻持ちならんことです。


実に怪しからんことではあるが復路に於いて各々がマイクを握って感想をコメントした折にわたしはお礼の言葉を添えてお返し致さねばなりませんでした。


わたしは箸にも棒にもかからない廃材を一つ所持していた。


材質は上溝桜でめっぽう硬い。


錆びた鏨を打ち奮って窪みを掘り込みました。


何の変哲もない駄作の我が陶板表札をその窪みに嵌め込んでみただけの代物に過ぎません。


1+1=1.5にもならぬ存在価値を2はおろかそれ以上の価値ある存在として此の大先生は評価して下さったことになる。


何の取り柄もない凡作を身に余る秀作に見立てて頂いた慧眼に厚く感謝致さねばなりません。


廃材にも命があった、わたしの下らぬ陶板表札も生き生きと甦り新しい生命体として共々生まれ変わったことになる。


今回のバス研修旅行の収穫は此の一点に尽きるのです。


無論、数多の越前焼の魂をわたしは貪欲に掠め取って参りました。


とても有意義な旅でした。