獺(かわうそ)のお祭り獺祭(だっさい)をネットで調べ勉強した。
三つの意味があった
それが、人間がお供え物をして先祖をお祭りするのに似ているので獺祭と名付けられたのだという。
二つ目はやはり中国の唐の時代の詩人李商隠は自分が詩作するときに沢山の参考書を膝元に並べて為したので己の号を獺祭魚と称したという意味が含まれるらしい。
此の獺祭にお初にお目に掛かった時には此のわたし漢字の読み方すら知らなかったダサイ奴なのです。
自嘲の意味を大いに込めてヤケクソ気味に此の陶板を作り上げた次第なのです。
此の陶板はおのれの前にぐい呑みを並べ立てて随分悦に入っているように窺がえるのです。
横向きに流れる幾本かの無造作な線はカワウソ君が悪戯して引っ掻きキズを残して行った跡なのです。
下手糞な品なき遊びこころの表われなのです。