老いのひとこと

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此れを機に比叡山へ登ってきた。


登ると云っても叡山電鉄の「電車」と叡山ケーブルの「ケーブルカー」と叡山ロープウエイの「ゴンドラ」、それに「シャトルバス」に乗り継いでのことである。


それにしてもいい齢抱えて体調不良の身、やはり豪かったしんどかった。


天台宗の難しい教義は何もわからない、ただ厳しい修行の場であることは釜堀浩元住職の九日間にわたる断食・断水・不眠・不臥・不言真言十万回の「堂入り荒行」のことでそれとなく窺い知るのです。


是非その明王堂へ行って修行のシュの字の欠片のそのまた欠片の断片でいい見て見たかったが何せ叡山  ケーブルからは行き辛かった、行けませんでした残念でした。


 


世紀の大改修中ではあったが「根本中堂」で霊気を感じ取り次いで文殊菩薩に逢いに「文殊楼」を目指し急な石段に挑んでみれば青息吐息目眩すら催したではないか。


此の(ざま)では話になりません、修行のシュの字にも至るはずもない。


 


もう三十年もむかしになるが大阪の三男坊と共に此処比叡山に入り身の息災と念願成就を手を合わせ祈願した事を昨日のように思い出すのです。


学卒間もなくして親元離れ艱難辛苦の努力の果てにその甲斐有って見事念願適い彼は今や見事に大輪を咲かせたのです。


挫折し掛かった我が非心を斬り捨て彼は彼なりに厳しき荒行に体を張ったのです。


辛抱した甲斐あって素晴らしき終生の伴侶を得て一男三女の子宝にも恵まれた。


此れひとえに比叡山の加護のたまものであり明らかに御利益御利徳を身を以って体得したことになるのです。


彼は、あたかも自分を「千日回峰行」の真っ直中に身を置く修行僧になぞらえ成り切って日夜奮励しているのだろう。


来る日も来る日も自分のしごとに邁進し行を積むのです。


今回はその彼には逢えなかったことになる。


 


比叡山に来て本当に良かった。


比叡山に感謝しなければならぬのです。