老いのひとこと

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60年ほど昔の古い思い出です。


北鉄の小原行き路線バスに乗って勤務先へ急いだものだ。


終着駅の小原のバス停にキハダの巨木があったことを思い出す。


上野さんの解説口調と共に今以ってよく覚えている。


良薬口に苦しの言葉通り此のキハダの樹皮は口には苦いが薬用成分が腹痛には効果てき面なのだとよく聞かされた。


彼の独特な口調までもが今以って耳に残る。


そのキハダの樹皮をあれから60年経たつい今しがたご近所の名立たる山男森さんから図らずも大量に頂戴してしまった。


それは決して生々しくはない、既に充分すぎるくらい乾ききった見事な生薬に違いはない。


わたしは敢えて此のキハダをばチューインガムの代用品として活用いたすのです。


ナイフで削り取った欠片を口に含み口内にじわっと染み渡る苦味を満喫する変人が此処に居る。


飴玉をしゃぶるのと何ら変わりはなかろう。


人生そんなに甘くはないことは嫌というほど思い知らされながら生きて来た。


むしろ厭なことのみ多かりき半生だったと云えまいか。


だから苦味は慣れっこ容易く受け入れ平気で噛み砕き繊維質が融けて苦汁と化すまで咀嚼に咀嚼を重ねる終には飲み干す。


キハダには健胃整腸の薬効成分があり、しかも顎の筋肉が躍動すれば脳味噌の働きが活性化するらしく物事に集中力が備わるという。


更には適正にして冷静なる判断力までもが備わるのだという。


もっと言えば、眠気覚ましの効能もあってわたしは一日中キハダの破片をガムのように噛みこなし続けるのです。