『剣道はすごいぞ』
―伝統と文化を大切にしてよりよい日本国をめざそうー
勝つための競技剣道
とにかくスポーツである以上勝負を競い合う。
勝つための綿密な計画に基づく合理的な基礎体力作りと堅固な精神力作りに加えてハードなトレーニングスケジュールを充実させて覇を競い合う。
とにかくスポーツである以上強くなり勝利を勝ち取る覇者にならなくては意味がない。
そのためには科学的で合理的なトレーニング法を少々逸脱してもど根性をまる出しにして、とにもかくにも勝つことにのみ専念せざるを得ないのである。
勝利至上主義がまかり通った。
これまた、当たり前のことである。
勝つためには手段を選ばないと言うことも十分にうなずけるのである。
審判規定には言うまでもなく有効打突の定めはある。
有効打突の判定基準は明記されることであっても審判員の主観的判断に基づく恣意性にゆだねられざるを得ない一面があるのである。
この世にあってはならない言葉の一つに『当てっこ剣道』と言う聞き捨てならない忌々しき隠し言葉を小耳に挟むことがある。とても残念なことだと思う。
とにかく勝てばよい、旗が上がればよい、打突部位に当たればよいと勝つことのみに専念する。
剣道をば純然たる競技スポーツとして楽しむ限りにおいては、それで十分なのかも知れないが日本古来の武道として冷静に考えてみたとき何か物足りない、しっくりしない側面が残ってしまうのだが皆さん方はいかがでしょうか。
こころある日本人にはこころ寂しいことであって、どうしても勝敗を競い合うことが結果としてどのような過程で人間形成の道につながって行くのかなかなか理解しにくい事に思えてならないのである。
もっとわかり易く極言すれば、試合に出て勝てる子とか勝負強い子が剣道の理念で言うところの人間形成を成し遂げたよい子であると結論付けてしまうという嫌いを払拭し難いのである。
この結びつきがとても短絡的に思えてならないのである。