老いのひとこと

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夏休みに入り我が町内の公園でも子ども会主催のラジオ体操が始まった。


暫しの間はこちらに仲間入りさせていただくことにした。


こちらの会場は幼児と小学校低学年生が主で十数人の参加だが何といっても平均年齢はとても若々しい。でも、お体がお目覚めしていない子もいますよ。


 


 


確かに何もできない役立たずの年寄ではあるがそれでも年寄りたちは何らかの形で世の為人の為にお役に立ちたい隠れた望みを内心には秘めてはいやしないだろうか。


過ぎ去りし前の政権時に謳われた「全ての人に出番と居場所を提供する共生社会」樹立の掛声を今以って不思議にも覚えている。


今や一億総活躍社会に移り変わったが年寄にも居場所と出番を提供する具体的動きは目下のところはなにもない。


 


かと言って、催促もないのにおのれよりしゃしゃり出るようでは場壊しで話にもならない。


つまり、場を盛り上げようと一人の年寄が上座に躍り出て音頭を取るなんて飛んでもない。


世の為人のために役立ちたいと云ってもこのようなことはしてはいけないのです。


 


なんとなく日本国中に子どもも年寄たちも自然に溶け合うような支え合うような親しみが湧いてくるような雰囲気の醸成がなされてはいないような気がしてならない。


もうとっくに壊されてしまったのでしょうか。


どうしても隔絶された世代間の亀裂を感じざるを得ない。


 


世の為人の為とは関係なしに此のわたしは此の子らと共に一緒に体操できることを大いに喜ばなくてはなりません。