老いのひとこと

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無断掲載



手捻り弥生土器の感触からまだ覚め遣らない身ではあったが竹刀に持ち替えてもう一汗掻こうと鶴来道場へ赴いた。


生憎、先約の方々が道場を使用中だったので暫時待機させられた。


見るとお師匠さんを囲みお弟子さんが三人円陣を組んでお稽古に励まれる。


師匠は白胴着に白袴だが他は柔道着か空手着の装束で腰には刀を帯びていられる。


姿勢を正し正座にて見学いたさねばならぬところ甚だ失礼ながら傍目でそれとなく見取っただけに過ぎない。


ほんの少しだけ極めて部分的な場面を断片的に観察したに過ぎないものが多くを語ってはいけません。


 


 


武道にしたら至ってしなやかでありスローモーに見えて女性的にさえ映る。


しかし、観点を違えれば徹底的に無駄な動作を剃り落とした恐ろしく合理性の追求だけが浮き立ってみえる。


鞘引きのしぐさまでもが無駄な動きとして捨象され剣尖は物を斬るのではなく優しく触れているようにしかわたしには見えない。


しかし、武術の修錬である以上刃筋正しく動けば殺傷も叶うのかも知れない。


風になびく柳の葉枝のように外敵の剛力に対し力尽くの抵抗の素振りは微塵たりとも見せずに相手の動きに順応しつつしかも勝ちを制する極限の武術なのかも知れない。


お稽古の後それとなく流派のことをお聞きいたせば「新体道」と名乗られた。


色々解説戴いたがどうもむかしの古武道武芸十八般を現代風に一つに集大成なされたものだと理解した。


今日は刀を携えられたが棒であり杖の日もあるのでしょう。


柔道柔術空手に太極拳等の要素も加味され広角打法と守備範囲の余りの広さに修得するには大変だろうとお察しした。


調べてみれば創始者の御方は書道にまでも意を注がれている。


 


珪氏と共に「法定の形」と「剣道形」を終えてからいつもの例会「日曜会稽古」に参加した。


さすがに疲労困憊、腰をさすり足を引き摺り乍らの家路でした。