老いのひとこと

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つれづれなるままに当てもなくふら付けば図書館にいた。


新聞に目を通していたらふと「制剛さん」を思い付いた。


制剛流の生みの親、僧制剛に近付いてみようといろいろ書物を開いてみる。


ところが検索術が捗々しくなく良書に辿り付くことは敵わなかった。


何処かに詳述書が在ろうかと探すが残念ながら駄目でした。


わかったことはどうも制剛は何処かの宗派に属するお坊さんと云うより所謂僧兵のような寺院が自衛のために囲った下級僧侶の一人であったらしい。


「高野の山法師」で在ったという記述に出会った。


高野山の僧兵の中に制剛と云う名の ( やわら )の術に長けた僧が居て武芸十八般を極る水早信正に懇ろに柔術を授けたことになる。


ヤワラの術を能く習得したので水早信正は自らを矢原次郎左衛門と名乗ったりもしたと云う。


制剛の言葉の所以はどうも制剛自身が孟子の言う「至柔よく至剛を制する義なり」より採ったのだと書いている。


つまりは最も温柔なるものが最も剛強なるものを制する意味になる。


俰の術は相手を殺傷することより我が身の護身を旨としたことも能くわかる。


此れは明らかに柳生新陰流の無刀取りにみる活人剣に見事に凝縮しているではないか。


延いては山岡鉄舟の一刀正傳無刀流とも軌を一とすることに相成りはしませんでしょうか。


郷土出身の最小兵関取炎鵬関の活躍に期待したいのですが残念ながら今場所は負け越してしまいました。