孫に曳かれて海水浴、手こそ曳かれたわけではないが海パン諸共海へ飛び込み潜ってきた。
泳げたではないか、不思議なものだとひとり感心した。
でもこれが泳ぎ納めかと思えば少しばかり寂しい。
それにしても何年振りになるか思い返すがどうしても思い出せない。
遠いむかしの頃息子たちの泳ぎの特訓によく徳光海岸へ行った。
磯の香りと焼け付く浜辺で冷え切ったからだを乾干し握り飯を頬張ったものだ。
あの時以来とは云えないまでもよくぞ古い水着が残っていたものだ。
サイズはきついが何とか間に合う。
野暮ったい自慢の救命具も未だ健在だ。
硬質発砲スチロールの廃材にテント布地で張り合わせ把手に自転車チューブを貫通させた。
空気抜けの心配なく安全この上なき逸品だ。
今様のビニール製浮き輪はカラフルで美しいが鞴付きで大層だし一たび破れたら命に関わる。
千里浜まで目指すが外環道で既に自然渋滞が随所に発生し身動きができない。
高級車両がずらりと並び軽だといかにも肩身が狭い按配だが其処はみなテントを設営し真夏の暫しのバカンスを等しく満喫しているようです。
マサ君は水泳教室で鍛えているだけなって岸から離れて深い所で得意のクロールを見事に披露してくれた。
双子のカオ・ナオちゃんはお揃いの可愛い水着で自慢気にはっしゃぎ返っている。
ルイちゃんは黙々と一人で砂遊びに興じている。
戦後七十一年目、とにかく今日の我が家は事もなく至って平和そのものなのです。
日本国もそう在らねばならないとそう思った。