老いのひとこと

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戸籍上わたしの曽祖父つまりひいじい様に当たるお人が高橋精路という人になる。


此の精路の遺品を先日の法事の折に弟より開示を受けた。


その中には「村松儀堂」なる人物に関わる史料が含まれていたのです。


わたしには厳粛なる歴史の重みをもろに感じたのです。


此の「村松儀堂」は西南戦争に従軍し西郷軍の銃丸が右肩を擦過(貫通)したが故を以って三条実美より下賜金35円を賜ったという証文まで出てきた。


 


偶々、先日のこと玉川図書館の近世史料館にて「第九師団軍旗縮図」なるものと「陸軍中尉清水軌郷( みちさと)が執筆する鹿児島逆徒征討日記」にお目に掛かったのです。


その時直感的に「村松儀堂」のことが脳裏をかすめたのです。


しめた、ひょっと致せばひょとするぞと期待感が膨らんだのです。


早速、史料を請求し血眼で紐解いてみたのだが遺憾ながら1等卒や2等卒の記録はどこを捜しても見出すことは敵わなかった。


ただ、驚くべき事実に身も心も震えた。


軌郷( みちさと)が執筆した西南戦争の生々しき戦中日記を御子息の医師秀夫氏が代筆されて ( しる )された記録を閲覧してきた。


司書の方にデジカメの断わりを入れて一部の撮影も許された。


所謂、戦闘の記録は日報に他ならない。


南スーダン首都ジュバでの黒塗り日報を思い出すが


黒塗り隠蔽せざる得ないほど如何に日報は詳細過ぎる戦況を克明に描写しているかが能く能く理解できた。


そのような日報を安易に破棄するなんて常識では考えられない。


老婆が渋茶を勧めた詳述箇所には驚いた次第だが敵弾が村松儀堂の右肩貫通の( くだり)はいくら探しても見当たらなかったのです。