老いのひとこと

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大伴家持万葉歌人として有名、越中の守として富山に赴任し国守として律令国家に仕えたことは学校で教わった記憶がある。


有力豪族の大伴氏は皇室とは血縁はなかったが天皇のお側に侍って親衛隊のような役目を果たしたのだという。


その大伴家持万葉集の巻十八の四千九十四番に聖武天皇に献上した長歌がある。


その長歌は奈良の東大寺の廬舎那仏に用いる黄金が東北の陸奥の国で採れたことを詠んだ歌なのだという。


その一節に「( うみ) ( ゆ )かば  水漬 ( みづ ) ( かばね )  


山行かば  草生( くさむ) ( かばね )  大君 ( おおきみ ) ( へ )にこそ ( しな )  かえり見はせじ」がある。


このフレーズの大意を活かして敬虔なクリスチャンで在られた作曲家信時潔( のぶとききよし)はあたかも大君をイエスになぞらえるように「海行かば」と題する讃美歌を世に出した。


時あたかも国家総動員の気風高まり相呼応するように戦意高揚が叫ばれ始めていた。


それと軌を一とするように此の歌は国歌に準ずるほどの素晴らしい軍歌に仕立て上げられ多くの若き戦士たちは雄々しく戦場に赴き、そして殉じ果てて逝った。


ところが信時潔は此のことを決して本意とはせず無言の抵抗を貫いたのだという。


決して戦争賛美ではないが間違いなしに素晴らしい旋律です、わたしとてこころ揺れ動き理由もなく慟哭のけはいに引き擦り込まれてしまいそうになる。


親父忠勝もそんな気持ちで此の掛け軸を人知れず囲っていたのかもしれません。


 


海行かば」が鮮烈デビューした昭和12年は父忠勝には血気盛んなる37歳わたくし正純は御年2歳を数えたことになる。


なお、揮毫した晩翠外吉については調べる手掛かりがどうしても掴めません。