武道は礼に始まり礼に終わると云う。
下げ刀の姿勢から相互の立礼を交わし帯刀姿勢より右足より前へ進みつつ蹲踞姿勢となり其処で再び「蹲踞の礼」を交わす。
命の遣り取りを執り行うゆえ丁重にもより丁重であらねばならない先人の教えなのでありましょう。
従って如何に老いぼれ剣士とて稽古に際しては立礼と蹲踞の礼を執り交わしてから劈く発声と共に掛かってゆかねばならないのです。
処が如何にも潔いことを口にしながら不甲斐なくも最近は頓に蹲踞の折に安定性を欠くのです。
ぐらぐらとぐら付き下手をすると構えた竹刀の先皮を床に付けてしまう始末なのだ。
「失態だ」とおのれを叱咤すれど時すでに遅し。
如何ともし難き寄る年波には勝てません。
人知れず隠れるように蹲踞の特訓をおのれに強いてはいるが此ればかりは学習効果が見えてこない。
寂しい限りだが左膝を付いた疑似蹲踞や中腰のへっぴり腰蹲踞はわたしの矜持が許さない。
「体力の衰えを気力でカバーせよ」との先人たちの教えを信じて今少し励んでみることにしよう。