車を動かしていたら街路樹の剪定作業中に出くわせた。
直ぐに其処はコブシ並木であったことに気付き車を空き地に止めた。
作業中の若者に声を掛け厚かましくも図々しく所望した。
若者は気前よく切落とした蕾の部分を分けて呉れた。
成る程、確かに歳を重ねると羞恥心が薄れる。
「有り難う」と若者の顔をよく見れば何処となく若かりし頃の千昌夫に似て来たから不思議なものだ。
“コブシ咲くあの丘・・ああ北国の春”
“・・おやじ似で無口なふたりがたまには酒でも・・”
好い歌です、思わず口遊む。
今年は殊の外寒かったが、やはり春はすぐそこまでやって来て呉れたではないか。
桜もいいが此の辛夷もいい、こぶしは古武士に相通じる。
飾り気ない実直な昔のお侍のような生きざまが何としてもいい。
何故かしら何処となく此の花に曳かれ肖りたくもなるのです。
だから、今日は此のコブシの一枝を所望したのです。
花瓶のなかで今年の春を咲かせてやらねばならないのです。